創業社長は時にワンマンでなければいけないのだろう。当社もそれで波を乗り切ってきたようだ。しかし、過剰適応してしまうと判断する心が麻痺してしまうことがある。ある人数まで組織が膨らんだ時点でフラットな組織といえども階層化する必要があり、判断や決断を委ねていかなければいつまでたっても大きな商店に過ぎない。

まだワンマン経営のクセが抜け気っていない状態なのだろう。様々な段階の判断を上位職に問い合わせてくる。曰く「保守契約を忘れているのですがどうしましょう?」「この見積は高すぎないでしょうか?」「会議の進め方ですがこれでいいでしょうか?」

大抵は、それに対していくつかの質問をする。「Aはどうなってる?」「それをするには何が必要?」「それで会議は進展する?」「どうすればそれはなくなるの?」すると、本人はそれに対して答えを持っていて、それを実行すれば解決すると思えることばかりである。
そう!能力的にはある。わかっている。しかし、それを実行に移す許可を得たがる。不安なのだろう。「相談してよかったです」・・・・答えは自分が持っていたのにも関わらずである。

実はこれが社長にも言えている。「どうしてこの方策なんでしたっけ?」・・・曰く「まぁ、勢いで!ガハハ!!」・・・・それはいいところでもあるのだが。
そうかと思うと部下たちへの指示に手取り足取り根掘り葉掘り些細なことにいたるまで方法を示していたりもする。これでは、判断や決断の風土は根付かないし成長もしない。

朝礼でこんなことを話した。
5回のWhy。これはイスラエル推進時代に世話になった豪快な上司の口癖である。問題解決や判断に迷ったら5階層までWhyで掘下げろと。

なぜ顧客は怒っているのか?対応が遅れたから。
なぜ遅れた?スケジュールを決めなかった。
なぜ決めなかった?顧客に言われなかった。
言われなければいいのか?儲からないからいい。
それで顧客を怒らせていいのか?しかたがない。
それで解約でいいのか?それは困る!!

では最初に戻って怒らせないためにはどうするのかを考えなければいけないだろう。

営業も技術も社長ですら客先に出向いている。そして、仕切り直しをな約束してきたのである。それぞれは何をしていたのか?
聞いてみると皆指示を待っていたのである。これまたある先輩の言葉からの引用であるが、執刀医も、麻酔担当も、助手も、バイタル担当者も、主治医も皆一生懸命手術をしているのだが、患者は死んでいたという状態。顧客の維持に責任を持っている者がいない状態。

よくいう「あいつは上しかみていない」。これは、上司の顔色を伺ってばかりいるという意味だろうが、もう一つ「直上しかみていない」という意味でもあると思う。つまり、上司も間違うことがあり、社長も間違うことがある。上しか見ていないということの真意は、その先の市場や株主や経営や会社の存在意義を見ていないということなのだ。上司が誰だろうと、上が誰だろうと、この視点を持った判断と決断をすれば、あらゆる場面の説明責任にも対応できるのではないかと信じている。