私が会社に入ったのは1981年。バブルの始まりでありパソコンの黎明期であり新人類と言われた世代の少し前であった。もちろん、転職していった仲間は沢山いたし、今周囲にいる人もかなりの割合で転職者である。ちなみに、同じ部門8人のうち4人は転職者。普段よくやりとりをするマネージャクラスの6割は転職者である。私も転職を考えた時期があった。実際にヘッドハンティングの会社のスカウトマンにもあったし、他者の社長に自分を売り込んだりした時期もあった。しかし、なんとか今までもっている。

 当時の自分の心境を振り返ってみると、その心理は「逃げたい」につきる。大変だったプロジェクトを背負い続けて、どうにも鳴らなくなってきたとき。解決しても解決しても問題が吹き出て、身動きできなくなりそうだったとき。問題を客先から追求され持ち帰って後ろを振り返ると、誰もいなかったとき。解決できるかわからない問題を抱えてイスラエルに渡る飛行機では、「もしかするとホテルの部屋から飛び降りてしまうかも」と思ったりしたこともあった。そして、できれば「すみません!」といって、とりあえず会社を辞めて逃げ出してしまえ!と思っていた。幸か不幸か、逃げ出すタイミングを逸して、なんとか切り抜けてきたようである。

 今いるベンチャーでも、転職者・退職者があいついでいる。一年も経たずに退職を口にする。それにつられて周囲も動揺する。退職予備軍のような顔をしている。自分のときと同じなのだろうか。どうして長くいられないのだろうか。前職からの転職も早かった人ほど出て行くサイクルも早いようだ。期待を抱いて入り、期待と違って遷って行く。自分で変えようとしているのだろうか。変えようとして変わらないから出て行くのだろうか。一年で環境を変えられると思っているのだろうか。自分なら変えられると思っているのだろうか。変えられないのは、自分の力不足ではなく、周囲の問題だと思うのだろうか。

入社の時に誓う言葉は何を意味していたのだろうか。
在職中に既に次の転職先を探しているのだろうか。

 もはや引き止める気にもなれないで、呆然と見送る自分がいる。それもまた情けなく、不甲斐なく。一方で時代の変化のようにも思える。特定の世代の遊牧民のような狩人のような職業感なのだろうか。今は少し判断が鈍っている。蔓延る退職DNAの正体はまだ見えない。