僕もよく使った言い訳や理由説明の常套句。「それは、XXさんがそのほうがいいといったからです。」「みんなの意見を聞いて意みたら、やらないほうがいいということだったので・・・」

時は金なり!という諺がある。

結構小さいうちから覚えた諺かも。時間を大切にしなさいという意味そのま?んまだが、この歳になって本質がわかりつつある。
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私の”時”は、私にしか消費できない”金”なり!

僕は女房の両親と近くに住んでおり、義父は体が不自由だ。従って様々な男手仕事を依頼される。義父は元気な頃はきれい好きで庭の掃除をよくやっていた。落ち葉の季節になると毎週竹箒でサッサカサッサカ、精を出していた。

その掃除を依頼される。僕は庭の落ち葉は冬になるまで散り続けるのだから、それほど丁寧にやる必要はないと”今でも”思っている。だから最初は(それほどキレイでなくてもいいや)と、ま♪いい??加減にやっていた。しかし!義父は自分の拘りがある。隅っこの落ち葉を見つけては「ここやって」「こっちも」と結局ほぼ全域を倍近い時間を掛けて、再清掃することになる。そりゃ最初はムカついた!(下男じゃねーぞ!( #` ¬´#) )しかしである・・・・

両者の関係からすると女房と離婚しない限りこれは解決できない。更に体の不自由な義父にケンカを売って対決するような人非人でもない(幸い♪)とすると、僕の選択は一つ。掃除を義父方式で行ない、キレイにするしかないのである。それにより再清掃の時間は免れ、義父も満足、お庭のキレイ、僕も早く解放。結局、掃除の時間を長く費やしたのは、避けられない事由を受け入れず適当にやることにした自分の行動の結果でしかない。いじめっ子がいたから回り道をして遅刻した・・・遅刻したのは「いじめっ子がいたので迂回した」自分の決断なのだ。XXがやってくれないので・・・は、それを放置した自分の行動の結果なのだ。

私の”時”は、私の”金”だ!勿論”だから自分で勝手に使っていい”ということではない。少なくとも誰かとの関係にある限り(つまりどんな場合でも)、行動を制約・制限しなければいけないほうが多い。

どんな行動でも、どんな妥協の産物の時間でも、消費するのは”自分の”時間。誰かに言われたから行った行為でも、自分の行動の結果だ。それはいかなる原因でも、”誰それの意見がそうだったから”では、やりきれない。妥協した主語は自分であり、”誰それの意見”を耳にした自分の選択だったのだから。

仕事では、僕の場合の義父との関係のように避けられないことも多い。しかし、放置したらそれこそ自分の時間が無駄になることも同じくらい多いし、適当にやっても再清掃するのは結局自分なのである。やるからには、再清掃の罠に嵌らないように、全力でやるしかない。自分の時間は自分の宝だ。行動を始めたのなら、もうやるしかない。