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レビン久子氏(ニューヨーク在住 群馬県出身(同郷!))の「ブルックリンの調停者」(信山社 1994年)を読んだ。
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氏は、同じく調停人であった亡くなったご主人の仕事の軌跡を探すうち、自らも調停人となり多くの調停を行ってきた。いくつかのエピソードを交えて調停の役割、歴史、難しさ、面白味などを理解させてくれる。

 アメリカ植民地時代、昔ながらの調停=町や教会、あるいは年長者によって和解を進めるスタイル。もともと、英国の政治社会制度を嫌って、米国に渡ってきたピューリタンたちは、英国の司法制度の象徴である弁護士を避ける気持ちは強かったようだ。リンカーンも、

”できるなら和解するように説得すべきだ。
裁判はたとえ勝っても、お金と時間の浪費になることを説明しなさい”


と述べている。しかし教会の分裂により、影響力も分割し、白黒つける裁判しかなくなってしまった。

経済的な余裕がでてきたこともあり、高い弁護士費用も払えるようになったことも裁判を一般的にさせる要因の一つだったようだ。しかし、最近では、裁判は手続きや様々な理由により時間がかかり、早くケリをつけて再出発したいのに、下手をすると裁判開始のときと条件が変わってしまったり、心が変わってしまったりして、改めて調停が見直されてきている。なにより、移民でなりたつ米国は親身になってアドバイスを与えてくれる長老的な人がいなくなっているということがあるという。

敵対ではなく和解を。

これが、調停の、今の日本であれば、ADRの、裁判外紛争解決法の根本であろうと考える。

素直に思う。

相手とこれからも接していきたいから、逆に争おうとするのではないかと。勝って罪を償わせることではなく、間違いに気づいてもらって、また仲良くなっていきたいから、紛争になるのではないかと。もちろん、犯罪は罰するべきだが、ビジネスでは、今後も御付合いしていきたい場合が多いと思う。その場合でも、白黒つけてお互いに時間消費して、痛くもない腹を探られるように証拠を全部さらけ出す訴訟では、終わった後にはできればもう会わないようにしたいくらい、関係はズタズタになっているだろう。

レビン久子氏は著書の中で、
”調停の概念とは、「相手の立場を尊重し、相手の身になって問題を考え、胸襟を開いて話し合えば、訴訟など起こさなくても問題は解決できるに違いない。そうすることによって初めて、傷ついた人間関係も癒すことができるはずである」”と述べている。

そうだなあ。
あんなに仲良かったのに、何かのきっかけで絶縁してしまいった人たちとも、調停でもしてみたいなと思う今日このごろである。